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10th (Thu)
Jun 2010

[day104] アンマン短期滞在

ペトラからアンマンまではシャトルバスで5JOD(650円位)、前日に宿で申し込みをしておけば翌朝に迎えに来てくれるのでラクチンです。二時間くらいミニバスに揺られながらウトウトしていると、街外れのバスターミナルに到着しました。ここから先の足は自分たちで確保しなくてはいけないので、例によって待ちかまえているタクシーの運転手と交渉を始めたところ、僕らの場合は5人のグループでまとまっていたため、ひとり1JODで市内の宿ならどこでも連れて行ってくれるとのこと。

さて、これが安いのか高いのか。でも僕らはアンマンの市場価格なんてサッパリわかりませんし、聞いたところで誰かが教えてくれるわけでもありません。そんなときに頼りになるのはもう自分の感覚のみですね。こういった場で少しでも安くしようと長時間粘って交渉する人もいるのですが、ぶっちゃけ、100円が80円になったところで大して変わらないわけです。その時間がもったいない。なので自分の中でその金額がアリならそこで決定というのが、僕なりのストレスをため込まない交渉ポリシーになりました。こちらの提示した不当に安い値段を相手に飲ませて、逆に相手を「ぼる」ようなこともしたくないですし。1JODで見知らぬ街の宿まで連れて行ってもらえるのですから安いものとしておきましょう。

今回はダウンタウンの中心にも近いマンスールと言う宿にチェックイン。ここも日本人御用達で、wi-fi無料、朝食付きドミトリーが3JODというアジア人ご優待価格。若干、シャワーの出が悪かったのですが、まぁこの値段では文句は言えないですね。宿には日本人が大好きな現地人がいて色々な情報を懇切丁寧に教えてくれました。ダハブのように沈没することは無いでしょうけど、宿の居心地自体はそれなりにいいところでしたよ。

アンマンは久しぶりに文明の香りがする街だったので、外国人が良く訪れるというブックカフェに行ってみました。お洒落な洋書屋さんの上がカフェになっているのですが、エントランスにガードマンが立っていて荷物チェックが入ります。アンマン駐在のヨーロピアンの憩いの場になっているらしく、内装はかなりお洒落。原宿のアパートメントカフェを思い出しました。そして、ここでのミルクシェークが一杯3.5JOD。いや、まぁ、この内装とお店のサービスからしてみたら適価だと納得しながら飲んでいたのですが、宿代よりも高い一杯のシェーク。ちなみに、この日の夕飯はアラブ料理を腹いっぱいになるまで食べて2JOD弱。アンマンでの出費の中ではここのシェークが一番高いのですが、実は満足度自体もこのカフェが一番高かったり。そう考えると物価ってほんと不思議ですよねぇ。あぁ、この話題は語り出すとキリがないので別の機会で。

アンマンはアラブの都会といった感じの街で、カイロよりも若干洗練された風なのですが、ダハブで会った人たち曰く、同じアラブの街ならばダマスカス旧市街の方が歴史を感じられる街でお勧めとのこと。ここを起点にヨルダン側から死海に行く人も多いのですが、この後訪れる予定のイスラエル側から行ったほうがビーチも綺麗だし、お姉さんがビキニで泳いでるから楽しいよという情報があったので、これまたパス。結局、長期で滞在すべき理由は特に見当たらず、2日で抜けることになりました。ダハブから一緒だったグループも一旦解散、イスラエル方向に向かうチームと、シリア方向に向かうチームに分かれます。

ちなみに若干蛇足気味なのですが、中東旅行の最中にイスラエルに立ち寄る人はヨルダンから陸路でキングフセイン橋という国境を越えていくことが多いです。ご存知の通りイスラエルは今でもシリアやレバノンを始めとするアラブ諸国と交戦状態にあり、イスラエルの入国スタンプがパスポートに押されてあると、多くのアラブ国家から入国拒否をされてしまいます。特に陸路での北上ルートを取っている人は、シリアを迂回してトルコに入ることは不可能なので、自動的にエア移動が確定という大打撃。

そこで裏技として登場してくるのがこのキングフセイン橋国境です。ヨルダンはオフィシャルにイスラエルと国交を回復しているので往来に関して問題はないのですが、この国境では更に「ノースタンプ」とお願いすることで、入出国に関するスタンプを全て別紙に押して処理してもらうことが可能とのこと。これならば、後で知らんぷりをしながらシリアに入国できてしまいます。ちなみに、イスラエルの入出国だけでなくヨルダンでの記録も別紙扱いにしないと、そこでアリバイが崩れてしまうので要注意ですよ。あと、イスラエルに入国する際にパスポートと荷物にセキュリティチェックのシールを貼られるのですが、これを綺麗にはがさないと、シールの跡だけでイスラエル入国の嫌疑がかけられることがあるとか。(※これは2010年4月ごろの情報をもとに書いています。今後の国際情勢によって手続きの内容が変わる可能性もありますので、実際に旅をされる方はその時の最新情報、特に現地での旅人からの情報を参考にするようにしてください。)

僕の場合はこのスタンプ交渉が面倒だったため、先に中東諸国を回った後でトルコからイスラエルに飛んでしまう予定でした。いっそのことシリアスタンプの隣にデデーンとイスラエルスタンプも押してもらおうかと。なのでここではシリア方面行きグループに参加です。実はこの先にシリア行きという選択が後のイスラエル入国時に若干問題になるのですが、その事の顛末はイスラエル入国編までしばらくお待ちください。

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北上開始 - ペトラダハブで一緒になった4人の仲間たちと一緒にヨルダン方向へ北上開始。まずはヌエバからヨルダンのアカバに向かうフェリーに乗って紅海を渡ります。このフェリー、外国人はほぼ強制的に「高速艇」に乗せられるのですが、こちらお値段60USD(+出国税10USD)とエジプトの物価としては超高額。ダハブでの3日分の生活費以上ですよ。でも、その分フェリーの中は砂粒ひとつ落ちていないくらいにピカピカ。エジプトで使用した乗り物の中で群を抜いて快適でした。

でも、運航スケジュールはやっぱりエジプトクオリティ。フェリーは12時頃に出発するからと言われて急かされて到着したものの、待てども待てども動く気配はなく。数時間待ってやっとのこと乗船開始、しかしここで更に待機時間が発生し、ようやく船が動きだしたのは夕方17時頃だったかと。結局、フェリーがアカバに到着した頃には既に周りは真っ暗になっていて、入国手続きを済ませて外に出れたのは21時過ぎです。

普段の一人旅だとここは翌朝まで待って安いバスに乗ることを選択するところなのですが、今回は頼もしい仲間たちと一緒。タクシーでペトラまで直行してもみんなで割れば大した金額にはならないということで、その場でドライバーたちと交渉を開始です。しかも、彼らはみんな百戦錬磨の手練たち。粘り強く交渉すること15分くらい、5人で40JOD(5500円位)と当初の言い値の半額以下まで値切ることに成功です。うーん、仲間がいるって素晴らしい。

ヨルダンの道路はしっかりと舗装されていてエジプトと比べてとてもきれいでした。走っている車もちゃんと整備されていましたし、信号もかなり久しぶりに見かけました。なんだか、こんな当たり前の光景にいちいち声を上げて反応している僕ら5人が田舎者のようですね。ワゴン車に揺られながら2時間弱、少し肌寒くなってきたなぁと話していたら、標高1000メートルのペトラに到着です。今回は圧倒的な安さで貧乏旅行者に人気の「バレンタイン・イン」にチェックイン。ドミトリーが3JOD(400円弱)というのはかなりお得かと。

翌朝からはすぐに遺跡観光に出発です。宿から実際の遺跡のある場所までは徒歩だと30分以上かかるらしいのですが、毎朝7時と8時に無料のシャトルバスが出ているとのこと。もちろん帰りの便もあります。さすがに前の晩の到着も遅かったので、8時のバスに合わせてみんなで起きたのですが、ここで意外な落とし穴が。ヨルダンはエジプトのほぼ真北で時差もないものだと思い込んでいたのですが、なんとサマータイムなる存在が発覚。そしてそんな事実には誰ひとりとして気づかずに実質9時にしっかり集合してきた日本人グループのみんな。結局宿のおっちゃんが気を利かせてくれてバスを手配してくれたので助かったのですが、国が替わったら必ず時差は確認しようという教訓が体に染みつきました。

北上開始 - ペトラペトラの入場料は悪名高いボッタクリ価格で、一日券が33JOD(4500円位)とちょっとしたテーマパーク並みの入場料です。さらに2010年11月からは一気に50JODに値上がりするとか。かなり強気ですね、ヨルダン政府。でも「そんな高い入場料を払ってでも見る価値はあるのかこの遺跡?」と問われたら、それでもGOと応えてしまうでしょう。(少なくとも33JODなら。50JODってのはちょっと考えさせてください…) 確かに、この遺跡はちょっとしたテーマパーク以上の広さを誇り、丸一日以上時間を費やせるほどのスケールを持っているのです。実際、丸一日のツアーに出かけてしまうとここと大して変わらない値段がかかってしまいますしね。

北上開始 - ペトラエントランスで皆と別れてひとり平坦な道を歩いて行くと、切り立った崖が目の前にそびえ立ちその中に更に道が延びています。そして、そこからしばらく進むと急に視界が開け、崖の切れ間から岩肌をくり抜かれた巨大な神殿「エル・カズネ」が登場。脳内BGMはもちろんインディジョーンズのテーマです。そう、僕はこれを見るためにここにやって来たのでした。ちょっと人が多くて興醒め感はありましたけど、それでもあの巨大な神殿には十分に圧倒されましたよ。他にも大小の遺跡や劇場跡が順路に沿って点在しているので、横目に見ながらひたすらに道を進みました。

北上開始 - ペトラしばらく歩いていると、崖の中腹に小さな看板を発見。「要塞はこっち」的なことが矢印と合わせて書かれています。他のは見向きもせずにメインの順路を進んでいるのですが、ここは「人の行く裏に道あり花の山」ということで、試しに看板に沿って行ってみることにしました。何個かの矢印に従うこと数十分、どうやら山の中腹から裏側に抜けルートに出てしまったようです。眼下には人がワラワラと歩いているのがわかるのですが、こちらのコースはごくたまに反対側から来た人とすれ違うというくらいの人の量。どうやら今回の相場観は当たりだった模様です。自分もその一人なのでわがままは言えないのですが、やっぱり観光客が少ないと落ち着いて写真が撮れるので楽しいですね。

歩き回ること丸一日。確実に10キロ以上は歩いたでしょう。帰りのシャトルバスがやってくる頃にはもうクタクタで、夕飯も外に出る気にもなれずそのまま宿でオプションのビュッフェを注文してしまいました。そしてこれが意外と大当たり。チキンライスやサラダなど典型的なアラブ料理だったのですが、前日からまともな食事をしていなかったこともあってとても美味しくいただけました。その後のみんなで大貧民をしながらのビールもウマい。ペトラは遺跡以外はこれと言って何もないところなので、翌日は早朝起床でヨルダンの首都アンマンに向けて移動です。

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1st (Tue)
Jun 2010

[day85] ダハブ沈没

ダハブ沈没いや、ほんと、このダハブという街のことは完全にノーマークだったんですよ。むしろ、バスがスケジュール通りに到着していたら、そのまま乗り継いで次のヌエバまで抜けてしまおうかと考えていたくらいに。しかし、15時間で着くと言われていたルクソールからのバスが、実際には20時間以上かかってしまい最低でも一泊が確定。ここで客引きにつかまってしまった僕を助けてくれた韓国人のお兄ちゃんの一言が僕のダハブでの運命を決定づけてしまったのです。「よかったら一緒にセブンヘブンという宿に行くかい?」と。

ダハブ沈没ダハブは紅海に面したリゾート地、そしてダイビングの名所でもあります。海岸線沿いにはいくつものカフェとダイブショップが連なり、バックパッカー向けの安宿も何件か存在しています。その中の一つが、今回僕が滞在することになったセブンヘブン。当初は一泊だけの予定だったのでシングルルーム(というかツインを独り占め仕様)にしたのですが、一泊30ポンド(500円位)というのは激安かと。そして、この宿にはダイブセンターも併設されていて、ヨシさんという素敵な日本人インストラクターの方もいるので、多くの日本人がここでライセンス取得に挑戦していました。

実は、僕は数年前に患った肺の病気のせいで気圧の変化の激しいいスキューバダイビングは残念ながらドクターストップ。でも、紅海の透明度はとても高く、シュノーケリングをしながらサンゴ礁の間を潜り抜けていくカラフルな魚たちを見ているだけでも十二分に楽しかったです。この碧い世界に魅せられてしまう人達の気持ちもよくわかりますね。うーん、僕が本当にダイビングにハマってしまったら、それこそカメラ機材とのダブルパンチで金銭的に溺死状態になっていたかもしれない(一眼レフカメラ用の防水ケースはそれだけで2,30万する高級品)。ドクターストップというのは、ある意味ちょうどいい抑止力だったのかもしれません。

ダハブ沈没シュノーケリングに行かない日は、昼間は近くのレストランでブログを書いたりKindleを読んだりと海辺のリゾートを一人で満喫(途中でKindleを落として液晶が割れてしまうという悲劇が起こりましたが…)。100%の擦りおろしマンゴージュースがジョッキ一杯で15ポンド(250円位)で飲めるのです。実はエジプト価格からするとなかなかいい値段なのですが、とても美味しいので気にしない。他にもイチゴジュースやメロンジュースなどビタミン補給の名の元に毎日二杯くらい飲んでました。

ダハブ沈没夕方からは宿に度待っている他の日本人のみんなと合流して近くのレストランへ夕食へ。どうもダハブの多くのレストランでは日本人ご優待価格のようなものが設定されているらしく、格安でちょっとしたコースメニューが食べられてしまいます。例えばレモンジュース、パン、サラダ、スープ、メイン、デザートに食後の水煙草までついてたったの20ポンド(370円位)とか。まぁ、僕の場合は水煙草もNGでしたが、それにしても安い。海辺の街なのでシーフードメニューも充実していて、特に洋風あら汁のようなスープはかなり美味しかったです。

ダハブ沈没そして食後はビールを片手に深夜までトーク&ゲームというのが毎日の流れ。特に世界中で旅人達に親しまれているという「ダハブゲーム」の面白さは半端なかった。基本はウソツキを探すトークゲームなのですが、一回につき30分から1時間くらいずっと喋り続けなくてはいけないので、初めて会った人たちともすぐに仲良くなれるというまさに旅人のためのゲームなのです。あまりにもクセになってしまうので酷いときには夢にまでこのゲームが出てきました。あぁ、いつかまたやってみたいなぁ、ダハブゲーム。

実は僕はこのセブンヘブンにやって来るまでいわゆる日本人宿に対してあまりいい印象を持っていなかったのです。いや、正確にはまだ持ち続けているのかも。でも、ここで逢った人たちはホントに素敵な人が多かったのです。当時セブンヘブンには20人を超える日本人が滞在していたのですが、殆どは長期旅行の間でダイビングを楽しもうと立ち寄った人たち。アフリカを縦断してやってきた世界一周婚前旅行中のカップル、インドで睡眠薬強盗にあっても旅を続ける教採待ちの塾講師、ダハブでダイビングの魅力に引き込まれこれを生涯の職業にしようと決めた元調理師、ダハブゲームがやりたくて遠路はるばる日本からダハブまでやってきてしまったネオニート、それぞれの人に物語があり、夜遅くまでいろいろと語り合ったものです。

ダハブ沈没そんな結果、気が付いたらまさかの25泊と言う長期滞在になってしまいました。25泊ですよ、25泊。これを「沈没」と言わずしてなんと形容できるのか。「ダイビングもせずにここまで長期でいる人は珍しい(笑)」と言われてしまいましたが、でも、ここで過ごした時間や得られた友人たちのことを考えると、後悔しているようなことはまったくなく。実際、既に中東を旅してきた人たちから得た生の情報はあとでかなり役立ちましたしね。そして、何よりも中東を一緒に旅できる仲間たちができたのが大きかったかと。ちょうど同時期に滞在していたメンツの中でヨルダン方向に北上するのは僕を含めて5人。せっかくなのでみんなで一緒に出発することにしたのです。旅は道連れというやつもたまには良いものですね。

次の目的地はヨルダンのペトラ。インディージョーンズの撮影にも使われたという、中東最大級の遺跡があるところです。濃密な日々を一緒に過ごしたセブンヘブンの仲間たちと別れるのは名残惜しくもあったのですが、出会いの数だけ別れも増えるといつものように口ずさみながら、新たな旅路に身を任せることにしました。

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