Entry Info

翌朝、僕は皆と別れてレバノン行きの支度を始めます。滞在していた宿から街外れにあるバスターミナルまではタクシーで20分ちょっと。運ちゃんが気を利かせてくれてセルビス乗り場の正面につけてくれたおかげで、すぐにベイルート行きのセルビスに飛び乗れました。僕は体の線がかなり細いのでセルビスに乗るときは後部座席真ん中がほぼ指定席状態。ごついアラビア人のお兄ちゃんに囲まれながら3時間弱。知っているアラビア語の単語を並べたり、運ちゃんの拙い英語を通訳にしたりしながらの軽いコミュニケーション。これぞセルビス旅行という感じです。

通関はまたもや拍子抜けするほどに簡単。ここでも日本のパスポートを見せると、いままで欧米人には横柄に接していた検査官が急に笑顔に。本当に日本人でよかった。ビザ代は14日間の観光ビザが25000LBP(1500円強)。ただ、支払いはレバノンポンドしか受け付けないとか言ってるのに国境の手前にはATMはおろか両替商すらいないとか。ゲートを越えたすぐ先にATMがあったので「それ使うだけだから!」とジェスチャーで説明したら理解してもらえたようで、すぐに中に入れてもらえました。この適当さがちょっと好きです。

冬場にはスキーもできるというレバノン山脈を越えて僕らを乗せたセルビスは走り続けます。エジプトからヨルダン、シリアと今まで旅をしてきた中東の国々は程度の差こそあれ「砂の国」という表現が強く当てはまるところだったのですが、レバノンは緑が豊富。山に緑という光景はかなり久しぶりに見た気がしました。そして、山を下り市街地が見え出すと、その先には初めて見る地中海が広がっていました。

中東での宿はダハブ以降基本的に予約を取っていません。頼みの綱のホステルワールドが全く機能していないからというのも理由の一つなのですが、何よりも大抵の安宿は予約なしで押しかけても問題なく入れてくれますし、万が一空いていなくても代替案はすぐに出てくるのです。宿側も何泊するかわからないけどとりあえず泊めてくれと流れ込んでくる旅人達の扱いに慣れているようでした。そんなわけでベイルートでも2軒ほど候補の宿を検討しつつ押しかけてみたのですが、第一候補のタラルズ・ニュー・ホテルは見事に満室、そして2軒目はなんと既に潰れたということであら大変。タクシーの運ちゃんにいろいろ助けてもらいながら見つけた宿はツインで30USD+ネット代6USDとやや予算オーバー気味。ドミトリーの相場が10USDの街でこの出費はちょっと厳しいです。とりあえず、この宿には2泊だけすることにして、残りの滞在は第一候補だったタラルズの予約を改めて入れることにしました。

この宿の問題に限らず、レバノン、特にベイルートは多くの貧乏旅行者から「中東の割に高い」と敬遠されることが多い場所です。確かに同じようなサンドイッチがお隣シリアの3倍くらいしますからね。新市街地で食事するには最低でもひとり10USDは欲しいところですが、アンマンなら同じ予算で4人が腹いっぱいになるまでアラブ料理を楽しめます。でも、たったそれだけの理由でレバノンを回避するなんて僕は「負け」だと思うのです。その街でごく普通の人々も生活をしている以上、本当に無理な出費になることは早々無いはずですし、そもそもこんな中東で高いとか言っていたら後々ヨーロッパになって行けなくなってしまいます。

そして、実際に滞在してみたところ、ある程度のお金を出せる人ならば他の中東諸国にはないハイレベルな食事がリーズナブルに楽しめるということがわかりました。例えば具沢山なイタリアンピッツァとジュースで15USDくらい。最終日に新市街の格調高そうなレストランで食べたプレミアム牛のステーキとグラスワインでも30USDちょっと。いくら「中東の割に高い」と騒がれようが東京で食べるよりは確実に安いのです。そしてこの街にはこのレベルのお店がそこらじゅうに点在しているので競争も激しく、味、サービスともに上出来。特にフレンドリーでありながらも敬った態度は崩さないサービスは、前回のダマスカスのなんちゃって高級店とはえらい違いです。

では、なぜこのベイルートはこうまで「金持ち」なのでしょうか?実はここベイルートは70年代中盤から10年以上にわたって続いた内戦とその後のイスラエルによる空爆という悲劇が起こるまで、石油で潤うイスラム金融の中心地として栄えていた街なのです。中東のスイスという別称はアルプスのように美しいレバノン山脈から来ただけでではないようですね。度重なる戦乱の影響で、そのイスラム資金の多くはドバイに流れてしまったようですが、今でも多くの銀行が存在していますし、新市街の街角にはBang&OlufsenやVertuの路面店があったり、ポルシェとフェラーリが縦列駐車されていたりと、東京の中心以上の高級度。高層ビル群こそないですが、街の放っているオーラは確かにドバイに近いものがある気がします。

ただ、多くの資金がベイルートの復興に注ぎ込まれている一方で、まだまだ戦乱の傷跡が色濃く残されているのもまた事実。旧市街地には今でも弾痕が痛々しい廃墟と化したビルが多く残り、機関銃を手にした兵士たちがいたるところに立っています。新市街地にはその兵士たちに厳重に守られたローマ風の真新しい建物が立ち並んでいるのですが、どの建物もの画一的で、まるでどこかのテーマパークのよう。昼間の歩行者の数はそれほど多くもなく、ピカピカに磨かれたショーウィンドーにはOpening Soonの文字が目立ちます。お金持ちの数が多い一方で、何とも物哀しい気持ちになってしまう不思議な場所でした。いつか復興がひと段落して、準備中だったお店も埋まったころにまた訪れてみたいと思いだしました。

Entry Info

アンマンからダマスカスまでは、宿で手配してもらった乗り合いタクシー「セルビス」を使用することにしました。ダハブやペトラで会った女性陣3人と一緒に北上再開です。

シリアビザ問題

ちなみに、シリアと言えば気になってくるのがビザの問題です。事前にネットで情報を集めていた限りでは、日本出国後にシリアビザを取得するのはなかなか骨が折れるらしいとのこと。イスタンブールかカイロ大使館で申請して一週間待てばどうにかなるとか。でも、いざ現地に入ってみると最新の状況はどうやらかなり変わっている模様で、カイロの宿のお兄ちゃんは「大使館では絶対に取れないからやめておけ」と。そして、ダハブで会った北から下って来た人たちからも、よっぽどのことがなければ国境で容易に取得できたとの証言を貰いました。この時点で既に心を決めてアンマンにやってきたわけですが、更にマンスールのおっちゃんも、アメリカ人以外なら国境で簡単に取得できるから安心しろと言ってます。これはもう、彼らの事を信じてそのまま行ってみるしかありません。

そして気になる結果はというと、ホントに余裕でした!セルビスの運ちゃんも慣れたもので、アラビア語しか書かれていないビザ申請書を僕らのところに持ってきてくれ、「ここ名前、ここ父親の名前、滞在期間とホテル名」みたいな感じで、事細かに教えてくれます。あとは、それを目の前のカウンターに持っていき、別のカウンターでビザ代を払い、またもとのカウンターに戻れば入国審査完了。特に質問などは何もなく、「Oh, Japanese Welcome!」の一言で簡単に通してくれました。絶対にオーストラリア入国の時の方が質問とか厳しかったし。

ビザ代は日本人の場合は48時間以内のトランジットビザが8USD、14日間以内の観光ビザが24USDで取得できます。しかも、国境の検査官は日本人に対してはかなり愛想がよく、同行の女の子が「シリアには10日間の滞在でその後はそのまま飛行機で日本に帰る」と申請すると「じゃぁトランジット(本来ならば48時間限定のはず)でいいや」と安いほうのビザをくれました。いや、いいんですか!?まじで?僕の場合は翌日すぐにレバノンに抜ける予定だったので、トランジットビザを申請、即時にビザ発行です。

でも、この値段や対応はその人の国籍によってかなり違ってくるようですね。参考までに周りに聞いた感じですと、韓国は日本より若干高め、オーストラリア、イギリスは100USD以上支払わないといけないとか。トランジットビザは聞いた限りでは日本人だけにしか発行されていないようです。さすが世界中でも最強レベルを誇る菊の御紋のパスポート。日本人に生まれてよかったと思う瞬間ですね。先人たちの努力に感謝しつつ、自分もその評判を維持できるように気を付けながら旅行を続けたいものです。

ちなみに、シリアが英語圏の国へのビザ発給に厳しいのは、当然パレスチナ問題が絡んでくるものかと推測されます。イスラエル建国とその後の混乱は、一次大戦当時にイギリス政府がユダヤ人とアラブ人に矛盾した約束をしたことが原因なんですよね。対アメリカに関しては言わずもがなというところですが、シリアとイギリス文化圏は今でも政治的にはかなり疎遠にあるようです。いや、こんなことはこの旅に出てきて初めて知ったのですが。実際に現地に来てみると単なる机上の話に過ぎなかった世界史や地理の話に現実感が湧いてくるので面白いです。

ダマスで晩餐

僕はダマスカスの街にはとりあえず一泊だけ。翌日から一人でレバノンに向かいます。(なのでダマスカス話はまた後ほど。)ここまで一緒に旅をしてきた女性陣ともお別れということで、みんなで久しぶりのアジア飯、中華料理でも食べに行こうかということになたのですが、地球の歩き方によるとダマスカスにある中華料理屋は新市街地にあるシャームパレスと言う高級ホテルの中のみ。一応、情報ではそれなりにリーズナブルということだったのですが、ホテルに着いてみたらハコに関しては見事な五つ星仕様。ロビーには噴水があり、ビシッとタキシードを着こなした給仕の人たちが歩き回っているレストランに同行者の3人は軽く圧倒されていたようでした。まぁ、僕自身はこの程度で動じることは全くないのですが。これもファーストクラス旅行の恩恵と言えるのかもしれませんね。

レストランのクオリティに関してはちょっとガッカリ。味はそこそこによかったのですが肝心のサービスが「高級サービスとはお高くとまることだ」と勘違いしている典型例。こちらがジーンズを履いた貧乏人風だったのも悪いのかもしれませんが、笑顔のかけらもなくこちらを見下したような態度は、同行者がいなかったら席を立っていたかもしれません。彼女たちが「これだけは高級店は肩が凝って苦手」と勘違いしないで欲しいなぁ。ほんとにいいサービスってのは、もっとホスピタリティに溢れているものなのです。これがドバイあたりだと勝手が違ってくるとは思うのですが、中東諸国だとこの手の高級店は各地域でライバルが殆どいないため、こんなサービスがまかり通ってしまうようなんですよね。もともと「旅人をもてなす」ことに優れた文化を持っているのですから、もう少し頑張れると思うのですが。

レバノン行ってきます

前述の通り、僕は翌日からはレバノン行き。ルクソール以来、ひと月ぶりの一人旅はなかなか新鮮な旅になりそうです。

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