レバノン

Entry Info

バールベックと雷の神様ベイルートだけで一週間はさすがに間が持ちそうになかったので、宿の切り替えのタイミングに合わせて近郊にあるバールベック遺跡まで泊りがけで出かけてみることにしました。移動手段は勿論セルビスです。他の国ではセルビスと言うと普通乗用車を利用した乗り合いタクシーのことを指すのですが、レバノンではこの単語の範疇に10人乗りのミニバスも入るようです。基本的にはローカルの人たちの足で、一部のバックパッカーを除けば外国人が乗ってくることは少ないみたいですね。

中東の現地人は基本的に英語が全くできません。数字とイエス/ノーが言えたらかなりできる方。ではそんな人達しかいないローカルバスに乗り込んでいくにはどうしたらいいのでしょう?基本はとっても簡単、目的地を連呼するのみです(笑)「バールベック?バールベック?」みたいに。手招きしてくれたら正解。支払いも周の人が一緒に勘定しながら必要なお札を教えてくれます。個人乗りのタクシーは得てしてボッタクリ傾向が強いのですが、セルビスの場合は周りと同じだけ払えばいいのである意味安心です。あとは行程を確実にするためには、宿で事前に目的と主要な乗り換え地をアラビア語でメモ帳に書いてもらうのがとても有効。このメモをバスのドライバーに見せれば確実に目的地で下してもらえます。また、メモを書いてもらうときには帰りのバス停の名前も忘れずに。

雷神の神殿

バールベックと雷の神様バールベック遺跡はローマ時代に建てられた遺跡なのですが、保存状態が世界でも稀にみるほどの良さとのこと。あまり遺跡には興味のない僕ですが、確かに神殿の圧倒的な大きさにはかなり驚かされました。毎度のことですが、昔の人は当時の技術でよくこんなバカでかいものを建ててしまったものだなぁと。そして、この遺跡が好印象だったのは他に殆ど観光客がいないこと。ツアー客も含めて何組か先客はいたのですが、遺跡の大きさに対してそこまで人が多くないので、落ち着いて見て回ることができました。自分のことは棚に上げまくりですが、カメラを持った観光客が大挙してくると興醒めもいいところなんですよね。

しかし、その殆ど誰もいない遺跡で気持ちよく写真を撮っていると何やら若干雲行きが怪しくなってきました。遺跡に着いた頃は青空が晴れ渡っていたのですが、気が付いたら空は灰色、ついには大きな雨粒と一緒に雷まで鳴りだしました。折しも僕がいたのはメインの「ジュピター神殿」。雷神の神殿で雷雨にあうなんてある意味でき過ぎなのですが、おかげで神殿横の小さな博物館の軒下で2時間程雨宿りをすることになってしまいました。近くにいた管理人さんに確認したところ、こんな雨は一年に数回あるかないかくらいの規模らしいです。いやはや凄いタイミングで来てしまったものです。

ちなみに滞在した宿の名前も「ジュピターホテル」。シャワーなしのドミトリーで15USDは観光地価格だなぁという感じなのですが、他に誰も滞在客がいなかったので実質上の個室扱いです。シャワー付きの個室もあったのですが、大して綺麗じゃない場所に一泊して40USDも取られるなら、翌日ベイルートに戻ってからシャワーを浴びておいしいものでも食べますって。外に出ても特にすることは無く、おんぼろなベッドの上で毛布にくるまりつつ、ひたすらに本を読んで過ごすことに。当時は指輪物語をiPhone版Kidleで読んでいたのですが、なかなか旅の気分を盛り上げてくれる内容でした。

素敵なおっちゃんとの出会い

翌朝、雨は上がり空は快晴。少しだけ散歩した後で、例によってセルビスでベイルート方面に戻ります。バスが走り出してしばらくすると、隣に座っていたおっちゃんが片言の英語で話しかけてきました。何でも彼はベイルートの隣町で弁護士をされているとのこと。どこから来たの?とかレバノンについてどう思う?とかそんな他愛もない会話をしていたら、おっちゃんが車でベイルート市街まで送ってあげようと言ってきました。僕らが乗っていたセルビスはベイルートの外れの街が終点で、そこから市街地まではもう一本違うセルビスに乗り換える必要があったんですよね。一瞬、昔タイでぼったくられた嫌な思い出が頭をよぎりますが、冷静に考えれば、セルビスの隣に偶然乗り合わせた人がその手の詐欺師である可能性はかなり低いはずです。しかも、ここは「旅人に優しくあれ」を是としているイスラム国家。ここは思い切って彼に付いていくことにしました。まぁ、トラブルになってしまったらまたその時に考えればいいかと。

その後何故か彼のオフィスに連れて行かれお茶を頂いた後で、きちんとベイルートまで送ってもらえました。しかも、ダウンタウンまででいいと言っているのに、ちゃんと宿の前まで。なんていい人なんだ!ほんとにこの地方の人たちは旅人に対してとても親切なんですね。他にもバス停から目的地まで一緒に歩いてくれたり、だれか英語をしゃべれる人を一緒に探してくれたりと、彼らに助けられたことは数え切れないほどあります。言葉も全く通じない、文字も殆ど読めない地域なのに大きな問題もなく旅を続けられたのはこういった現地の人の小さな優しさによるところが大きいかと。翻ってこれからは日本に来る外国人にもっと親切にしてあげようなぁと思い始めた次第です。

Entry Info

翌朝、僕は皆と別れてレバノン行きの支度を始めます。滞在していた宿から街外れにあるバスターミナルまではタクシーで20分ちょっと。運ちゃんが気を利かせてくれてセルビス乗り場の正面につけてくれたおかげで、すぐにベイルート行きのセルビスに飛び乗れました。僕は体の線がかなり細いのでセルビスに乗るときは後部座席真ん中がほぼ指定席状態。ごついアラビア人のお兄ちゃんに囲まれながら3時間弱。知っているアラビア語の単語を並べたり、運ちゃんの拙い英語を通訳にしたりしながらの軽いコミュニケーション。これぞセルビス旅行という感じです。

通関はまたもや拍子抜けするほどに簡単。ここでも日本のパスポートを見せると、いままで欧米人には横柄に接していた検査官が急に笑顔に。本当に日本人でよかった。ビザ代は14日間の観光ビザが25000LBP(1500円強)。ただ、支払いはレバノンポンドしか受け付けないとか言ってるのに国境の手前にはATMはおろか両替商すらいないとか。ゲートを越えたすぐ先にATMがあったので「それ使うだけだから!」とジェスチャーで説明したら理解してもらえたようで、すぐに中に入れてもらえました。この適当さがちょっと好きです。

冬場にはスキーもできるというレバノン山脈を越えて僕らを乗せたセルビスは走り続けます。エジプトからヨルダン、シリアと今まで旅をしてきた中東の国々は程度の差こそあれ「砂の国」という表現が強く当てはまるところだったのですが、レバノンは緑が豊富。山に緑という光景はかなり久しぶりに見た気がしました。そして、山を下り市街地が見え出すと、その先には初めて見る地中海が広がっていました。

中東での宿はダハブ以降基本的に予約を取っていません。頼みの綱のホステルワールドが全く機能していないからというのも理由の一つなのですが、何よりも大抵の安宿は予約なしで押しかけても問題なく入れてくれますし、万が一空いていなくても代替案はすぐに出てくるのです。宿側も何泊するかわからないけどとりあえず泊めてくれと流れ込んでくる旅人達の扱いに慣れているようでした。そんなわけでベイルートでも2軒ほど候補の宿を検討しつつ押しかけてみたのですが、第一候補のタラルズ・ニュー・ホテルは見事に満室、そして2軒目はなんと既に潰れたということであら大変。タクシーの運ちゃんにいろいろ助けてもらいながら見つけた宿はツインで30USD+ネット代6USDとやや予算オーバー気味。ドミトリーの相場が10USDの街でこの出費はちょっと厳しいです。とりあえず、この宿には2泊だけすることにして、残りの滞在は第一候補だったタラルズの予約を改めて入れることにしました。

この宿の問題に限らず、レバノン、特にベイルートは多くの貧乏旅行者から「中東の割に高い」と敬遠されることが多い場所です。確かに同じようなサンドイッチがお隣シリアの3倍くらいしますからね。新市街地で食事するには最低でもひとり10USDは欲しいところですが、アンマンなら同じ予算で4人が腹いっぱいになるまでアラブ料理を楽しめます。でも、たったそれだけの理由でレバノンを回避するなんて僕は「負け」だと思うのです。その街でごく普通の人々も生活をしている以上、本当に無理な出費になることは早々無いはずですし、そもそもこんな中東で高いとか言っていたら後々ヨーロッパになって行けなくなってしまいます。

そして、実際に滞在してみたところ、ある程度のお金を出せる人ならば他の中東諸国にはないハイレベルな食事がリーズナブルに楽しめるということがわかりました。例えば具沢山なイタリアンピッツァとジュースで15USDくらい。最終日に新市街の格調高そうなレストランで食べたプレミアム牛のステーキとグラスワインでも30USDちょっと。いくら「中東の割に高い」と騒がれようが東京で食べるよりは確実に安いのです。そしてこの街にはこのレベルのお店がそこらじゅうに点在しているので競争も激しく、味、サービスともに上出来。特にフレンドリーでありながらも敬った態度は崩さないサービスは、前回のダマスカスのなんちゃって高級店とはえらい違いです。

では、なぜこのベイルートはこうまで「金持ち」なのでしょうか?実はここベイルートは70年代中盤から10年以上にわたって続いた内戦とその後のイスラエルによる空爆という悲劇が起こるまで、石油で潤うイスラム金融の中心地として栄えていた街なのです。中東のスイスという別称はアルプスのように美しいレバノン山脈から来ただけでではないようですね。度重なる戦乱の影響で、そのイスラム資金の多くはドバイに流れてしまったようですが、今でも多くの銀行が存在していますし、新市街の街角にはBang&OlufsenやVertuの路面店があったり、ポルシェとフェラーリが縦列駐車されていたりと、東京の中心以上の高級度。高層ビル群こそないですが、街の放っているオーラは確かにドバイに近いものがある気がします。

ただ、多くの資金がベイルートの復興に注ぎ込まれている一方で、まだまだ戦乱の傷跡が色濃く残されているのもまた事実。旧市街地には今でも弾痕が痛々しい廃墟と化したビルが多く残り、機関銃を手にした兵士たちがいたるところに立っています。新市街地にはその兵士たちに厳重に守られたローマ風の真新しい建物が立ち並んでいるのですが、どの建物もの画一的で、まるでどこかのテーマパークのよう。昼間の歩行者の数はそれほど多くもなく、ピカピカに磨かれたショーウィンドーにはOpening Soonの文字が目立ちます。お金持ちの数が多い一方で、何とも物哀しい気持ちになってしまう不思議な場所でした。いつか復興がひと段落して、準備中だったお店も埋まったころにまた訪れてみたいと思いだしました。

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