旅行記

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アンマンからダマスカスまでは、宿で手配してもらった乗り合いタクシー「セルビス」を使用することにしました。ダハブやペトラで会った女性陣3人と一緒に北上再開です。

シリアビザ問題

ちなみに、シリアと言えば気になってくるのがビザの問題です。事前にネットで情報を集めていた限りでは、日本出国後にシリアビザを取得するのはなかなか骨が折れるらしいとのこと。イスタンブールかカイロ大使館で申請して一週間待てばどうにかなるとか。でも、いざ現地に入ってみると最新の状況はどうやらかなり変わっている模様で、カイロの宿のお兄ちゃんは「大使館では絶対に取れないからやめておけ」と。そして、ダハブで会った北から下って来た人たちからも、よっぽどのことがなければ国境で容易に取得できたとの証言を貰いました。この時点で既に心を決めてアンマンにやってきたわけですが、更にマンスールのおっちゃんも、アメリカ人以外なら国境で簡単に取得できるから安心しろと言ってます。これはもう、彼らの事を信じてそのまま行ってみるしかありません。

そして気になる結果はというと、ホントに余裕でした!セルビスの運ちゃんも慣れたもので、アラビア語しか書かれていないビザ申請書を僕らのところに持ってきてくれ、「ここ名前、ここ父親の名前、滞在期間とホテル名」みたいな感じで、事細かに教えてくれます。あとは、それを目の前のカウンターに持っていき、別のカウンターでビザ代を払い、またもとのカウンターに戻れば入国審査完了。特に質問などは何もなく、「Oh, Japanese Welcome!」の一言で簡単に通してくれました。絶対にオーストラリア入国の時の方が質問とか厳しかったし。

ビザ代は日本人の場合は48時間以内のトランジットビザが8USD、14日間以内の観光ビザが24USDで取得できます。しかも、国境の検査官は日本人に対してはかなり愛想がよく、同行の女の子が「シリアには10日間の滞在でその後はそのまま飛行機で日本に帰る」と申請すると「じゃぁトランジット(本来ならば48時間限定のはず)でいいや」と安いほうのビザをくれました。いや、いいんですか!?まじで?僕の場合は翌日すぐにレバノンに抜ける予定だったので、トランジットビザを申請、即時にビザ発行です。

でも、この値段や対応はその人の国籍によってかなり違ってくるようですね。参考までに周りに聞いた感じですと、韓国は日本より若干高め、オーストラリア、イギリスは100USD以上支払わないといけないとか。トランジットビザは聞いた限りでは日本人だけにしか発行されていないようです。さすが世界中でも最強レベルを誇る菊の御紋のパスポート。日本人に生まれてよかったと思う瞬間ですね。先人たちの努力に感謝しつつ、自分もその評判を維持できるように気を付けながら旅行を続けたいものです。

ちなみに、シリアが英語圏の国へのビザ発給に厳しいのは、当然パレスチナ問題が絡んでくるものかと推測されます。イスラエル建国とその後の混乱は、一次大戦当時にイギリス政府がユダヤ人とアラブ人に矛盾した約束をしたことが原因なんですよね。対アメリカに関しては言わずもがなというところですが、シリアとイギリス文化圏は今でも政治的にはかなり疎遠にあるようです。いや、こんなことはこの旅に出てきて初めて知ったのですが。実際に現地に来てみると単なる机上の話に過ぎなかった世界史や地理の話に現実感が湧いてくるので面白いです。

ダマスで晩餐

僕はダマスカスの街にはとりあえず一泊だけ。翌日から一人でレバノンに向かいます。(なのでダマスカス話はまた後ほど。)ここまで一緒に旅をしてきた女性陣ともお別れということで、みんなで久しぶりのアジア飯、中華料理でも食べに行こうかということになたのですが、地球の歩き方によるとダマスカスにある中華料理屋は新市街地にあるシャームパレスと言う高級ホテルの中のみ。一応、情報ではそれなりにリーズナブルということだったのですが、ホテルに着いてみたらハコに関しては見事な五つ星仕様。ロビーには噴水があり、ビシッとタキシードを着こなした給仕の人たちが歩き回っているレストランに同行者の3人は軽く圧倒されていたようでした。まぁ、僕自身はこの程度で動じることは全くないのですが。これもファーストクラス旅行の恩恵と言えるのかもしれませんね。

レストランのクオリティに関してはちょっとガッカリ。味はそこそこによかったのですが肝心のサービスが「高級サービスとはお高くとまることだ」と勘違いしている典型例。こちらがジーンズを履いた貧乏人風だったのも悪いのかもしれませんが、笑顔のかけらもなくこちらを見下したような態度は、同行者がいなかったら席を立っていたかもしれません。彼女たちが「これだけは高級店は肩が凝って苦手」と勘違いしないで欲しいなぁ。ほんとにいいサービスってのは、もっとホスピタリティに溢れているものなのです。これがドバイあたりだと勝手が違ってくるとは思うのですが、中東諸国だとこの手の高級店は各地域でライバルが殆どいないため、こんなサービスがまかり通ってしまうようなんですよね。もともと「旅人をもてなす」ことに優れた文化を持っているのですから、もう少し頑張れると思うのですが。

レバノン行ってきます

前述の通り、僕は翌日からはレバノン行き。ルクソール以来、ひと月ぶりの一人旅はなかなか新鮮な旅になりそうです。

Entry Info

10th (Thu)
Jun 2010

[day104] アンマン短期滞在

ペトラからアンマンまではシャトルバスで5JOD(650円位)、前日に宿で申し込みをしておけば翌朝に迎えに来てくれるのでラクチンです。二時間くらいミニバスに揺られながらウトウトしていると、街外れのバスターミナルに到着しました。ここから先の足は自分たちで確保しなくてはいけないので、例によって待ちかまえているタクシーの運転手と交渉を始めたところ、僕らの場合は5人のグループでまとまっていたため、ひとり1JODで市内の宿ならどこでも連れて行ってくれるとのこと。

さて、これが安いのか高いのか。でも僕らはアンマンの市場価格なんてサッパリわかりませんし、聞いたところで誰かが教えてくれるわけでもありません。そんなときに頼りになるのはもう自分の感覚のみですね。こういった場で少しでも安くしようと長時間粘って交渉する人もいるのですが、ぶっちゃけ、100円が80円になったところで大して変わらないわけです。その時間がもったいない。なので自分の中でその金額がアリならそこで決定というのが、僕なりのストレスをため込まない交渉ポリシーになりました。こちらの提示した不当に安い値段を相手に飲ませて、逆に相手を「ぼる」ようなこともしたくないですし。1JODで見知らぬ街の宿まで連れて行ってもらえるのですから安いものとしておきましょう。

今回はダウンタウンの中心にも近いマンスールと言う宿にチェックイン。ここも日本人御用達で、wi-fi無料、朝食付きドミトリーが3JODというアジア人ご優待価格。若干、シャワーの出が悪かったのですが、まぁこの値段では文句は言えないですね。宿には日本人が大好きな現地人がいて色々な情報を懇切丁寧に教えてくれました。ダハブのように沈没することは無いでしょうけど、宿の居心地自体はそれなりにいいところでしたよ。

アンマンは久しぶりに文明の香りがする街だったので、外国人が良く訪れるというブックカフェに行ってみました。お洒落な洋書屋さんの上がカフェになっているのですが、エントランスにガードマンが立っていて荷物チェックが入ります。アンマン駐在のヨーロピアンの憩いの場になっているらしく、内装はかなりお洒落。原宿のアパートメントカフェを思い出しました。そして、ここでのミルクシェークが一杯3.5JOD。いや、まぁ、この内装とお店のサービスからしてみたら適価だと納得しながら飲んでいたのですが、宿代よりも高い一杯のシェーク。ちなみに、この日の夕飯はアラブ料理を腹いっぱいになるまで食べて2JOD弱。アンマンでの出費の中ではここのシェークが一番高いのですが、実は満足度自体もこのカフェが一番高かったり。そう考えると物価ってほんと不思議ですよねぇ。あぁ、この話題は語り出すとキリがないので別の機会で。

アンマンはアラブの都会といった感じの街で、カイロよりも若干洗練された風なのですが、ダハブで会った人たち曰く、同じアラブの街ならばダマスカス旧市街の方が歴史を感じられる街でお勧めとのこと。ここを起点にヨルダン側から死海に行く人も多いのですが、この後訪れる予定のイスラエル側から行ったほうがビーチも綺麗だし、お姉さんがビキニで泳いでるから楽しいよという情報があったので、これまたパス。結局、長期で滞在すべき理由は特に見当たらず、2日で抜けることになりました。ダハブから一緒だったグループも一旦解散、イスラエル方向に向かうチームと、シリア方向に向かうチームに分かれます。

ちなみに若干蛇足気味なのですが、中東旅行の最中にイスラエルに立ち寄る人はヨルダンから陸路でキングフセイン橋という国境を越えていくことが多いです。ご存知の通りイスラエルは今でもシリアやレバノンを始めとするアラブ諸国と交戦状態にあり、イスラエルの入国スタンプがパスポートに押されてあると、多くのアラブ国家から入国拒否をされてしまいます。特に陸路での北上ルートを取っている人は、シリアを迂回してトルコに入ることは不可能なので、自動的にエア移動が確定という大打撃。

そこで裏技として登場してくるのがこのキングフセイン橋国境です。ヨルダンはオフィシャルにイスラエルと国交を回復しているので往来に関して問題はないのですが、この国境では更に「ノースタンプ」とお願いすることで、入出国に関するスタンプを全て別紙に押して処理してもらうことが可能とのこと。これならば、後で知らんぷりをしながらシリアに入国できてしまいます。ちなみに、イスラエルの入出国だけでなくヨルダンでの記録も別紙扱いにしないと、そこでアリバイが崩れてしまうので要注意ですよ。あと、イスラエルに入国する際にパスポートと荷物にセキュリティチェックのシールを貼られるのですが、これを綺麗にはがさないと、シールの跡だけでイスラエル入国の嫌疑がかけられることがあるとか。(※これは2010年4月ごろの情報をもとに書いています。今後の国際情勢によって手続きの内容が変わる可能性もありますので、実際に旅をされる方はその時の最新情報、特に現地での旅人からの情報を参考にするようにしてください。)

僕の場合はこのスタンプ交渉が面倒だったため、先に中東諸国を回った後でトルコからイスラエルに飛んでしまう予定でした。いっそのことシリアスタンプの隣にデデーンとイスラエルスタンプも押してもらおうかと。なのでここではシリア方面行きグループに参加です。実はこの先にシリア行きという選択が後のイスラエル入国時に若干問題になるのですが、その事の顛末はイスラエル入国編までしばらくお待ちください。

Entry Info

北上開始 - ペトラダハブで一緒になった4人の仲間たちと一緒にヨルダン方向へ北上開始。まずはヌエバからヨルダンのアカバに向かうフェリーに乗って紅海を渡ります。このフェリー、外国人はほぼ強制的に「高速艇」に乗せられるのですが、こちらお値段60USD(+出国税10USD)とエジプトの物価としては超高額。ダハブでの3日分の生活費以上ですよ。でも、その分フェリーの中は砂粒ひとつ落ちていないくらいにピカピカ。エジプトで使用した乗り物の中で群を抜いて快適でした。

でも、運航スケジュールはやっぱりエジプトクオリティ。フェリーは12時頃に出発するからと言われて急かされて到着したものの、待てども待てども動く気配はなく。数時間待ってやっとのこと乗船開始、しかしここで更に待機時間が発生し、ようやく船が動きだしたのは夕方17時頃だったかと。結局、フェリーがアカバに到着した頃には既に周りは真っ暗になっていて、入国手続きを済ませて外に出れたのは21時過ぎです。

普段の一人旅だとここは翌朝まで待って安いバスに乗ることを選択するところなのですが、今回は頼もしい仲間たちと一緒。タクシーでペトラまで直行してもみんなで割れば大した金額にはならないということで、その場でドライバーたちと交渉を開始です。しかも、彼らはみんな百戦錬磨の手練たち。粘り強く交渉すること15分くらい、5人で40JOD(5500円位)と当初の言い値の半額以下まで値切ることに成功です。うーん、仲間がいるって素晴らしい。

ヨルダンの道路はしっかりと舗装されていてエジプトと比べてとてもきれいでした。走っている車もちゃんと整備されていましたし、信号もかなり久しぶりに見かけました。なんだか、こんな当たり前の光景にいちいち声を上げて反応している僕ら5人が田舎者のようですね。ワゴン車に揺られながら2時間弱、少し肌寒くなってきたなぁと話していたら、標高1000メートルのペトラに到着です。今回は圧倒的な安さで貧乏旅行者に人気の「バレンタイン・イン」にチェックイン。ドミトリーが3JOD(400円弱)というのはかなりお得かと。

翌朝からはすぐに遺跡観光に出発です。宿から実際の遺跡のある場所までは徒歩だと30分以上かかるらしいのですが、毎朝7時と8時に無料のシャトルバスが出ているとのこと。もちろん帰りの便もあります。さすがに前の晩の到着も遅かったので、8時のバスに合わせてみんなで起きたのですが、ここで意外な落とし穴が。ヨルダンはエジプトのほぼ真北で時差もないものだと思い込んでいたのですが、なんとサマータイムなる存在が発覚。そしてそんな事実には誰ひとりとして気づかずに実質9時にしっかり集合してきた日本人グループのみんな。結局宿のおっちゃんが気を利かせてくれてバスを手配してくれたので助かったのですが、国が替わったら必ず時差は確認しようという教訓が体に染みつきました。

北上開始 - ペトラペトラの入場料は悪名高いボッタクリ価格で、一日券が33JOD(4500円位)とちょっとしたテーマパーク並みの入場料です。さらに2010年11月からは一気に50JODに値上がりするとか。かなり強気ですね、ヨルダン政府。でも「そんな高い入場料を払ってでも見る価値はあるのかこの遺跡?」と問われたら、それでもGOと応えてしまうでしょう。(少なくとも33JODなら。50JODってのはちょっと考えさせてください…) 確かに、この遺跡はちょっとしたテーマパーク以上の広さを誇り、丸一日以上時間を費やせるほどのスケールを持っているのです。実際、丸一日のツアーに出かけてしまうとここと大して変わらない値段がかかってしまいますしね。

北上開始 - ペトラエントランスで皆と別れてひとり平坦な道を歩いて行くと、切り立った崖が目の前にそびえ立ちその中に更に道が延びています。そして、そこからしばらく進むと急に視界が開け、崖の切れ間から岩肌をくり抜かれた巨大な神殿「エル・カズネ」が登場。脳内BGMはもちろんインディジョーンズのテーマです。そう、僕はこれを見るためにここにやって来たのでした。ちょっと人が多くて興醒め感はありましたけど、それでもあの巨大な神殿には十分に圧倒されましたよ。他にも大小の遺跡や劇場跡が順路に沿って点在しているので、横目に見ながらひたすらに道を進みました。

北上開始 - ペトラしばらく歩いていると、崖の中腹に小さな看板を発見。「要塞はこっち」的なことが矢印と合わせて書かれています。他のは見向きもせずにメインの順路を進んでいるのですが、ここは「人の行く裏に道あり花の山」ということで、試しに看板に沿って行ってみることにしました。何個かの矢印に従うこと数十分、どうやら山の中腹から裏側に抜けルートに出てしまったようです。眼下には人がワラワラと歩いているのがわかるのですが、こちらのコースはごくたまに反対側から来た人とすれ違うというくらいの人の量。どうやら今回の相場観は当たりだった模様です。自分もその一人なのでわがままは言えないのですが、やっぱり観光客が少ないと落ち着いて写真が撮れるので楽しいですね。

歩き回ること丸一日。確実に10キロ以上は歩いたでしょう。帰りのシャトルバスがやってくる頃にはもうクタクタで、夕飯も外に出る気にもなれずそのまま宿でオプションのビュッフェを注文してしまいました。そしてこれが意外と大当たり。チキンライスやサラダなど典型的なアラブ料理だったのですが、前日からまともな食事をしていなかったこともあってとても美味しくいただけました。その後のみんなで大貧民をしながらのビールもウマい。ペトラは遺跡以外はこれと言って何もないところなので、翌日は早朝起床でヨルダンの首都アンマンに向けて移動です。

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